対決!ハエ嫁ウンコ姑

桜井真理
 朝のワイドショーは若手女優つみきみほの電撃結婚を伝えていた。猫顔の個性派、ちょっと気が強そうなイメージの彼女が、今日はニコニコだ。「プロポーズは?」というレポーターのお決まりの質問に彼女は、「私が彼の両親に『息子さんを下さい』と言いました」と楽しそうに答えた。

 私は「やられたー」と呟いた。「椋田君を下さい」、それは私の台詞だった。今晩私は彼の両親に会ってそう言おうと決めていたのだ。

 椋田君と私は五年半ほどの付き合いだ。二ヶ月前に、一緒に住もうという話になり、私が母と一緒に住んでいたマンションから、母を追い出すような形になった。

 ところが引越の日、椋田君は現れなかった。何かあったのかと心配していたところへ電話が鳴った。
「母親に『明日家を出る』って言ったら『あんた何言ってんの』って凄い怒ってるんだよ。父親は反対してないけど『今日行くのは止めてよく話し合いなさい』って言って車を出してくれない。悪いけど今日は行けない。」

 そんなもんだろう、普通。私は一緒に住むことを決めてから何回か彼に尋ねた。
「ご両親は大丈夫なの?」
「まだ話してないけど、関係ないよ。俺が何をしようと自由なんだから」と彼は答えた。

 親より恋人の方が大切なのは私も一緒だ。家族や会社のしがらみに関係なく自由にやりたい事をやる。そこが椋田君の素敵なところなのだが、あやういところでもある。彼はこんなトラブルは全く予想していなかった。

 椋田君の母親は私の母を呼び出した。引っ越したばかりの母は、夫は癌で入院しているし、また厄介なことに巻き込まれた。彼の母親に「あの子は長男だから」と言われたらしい。

 椋田君は私より一つ年下の二八歳、祖母と両親、妹が二人いる。長男と付き合うとき多くの女性は身構えてしまうものではないだろうか。

 大学のとき付き合っていた人も長男だった。「○○家の嫁として相応しくない」と言われて「結婚するつもりはない」と答えたら「それなら付き合うのは止しなさい」なんて横槍が入った。親の期待を裏切れないと彼は言って別れたけれど、結局私をそれほど好きではなかったという事だ。

 椋田君は違う。家族と仲は良いが家を継ぐつもりはない。親や周りがなんと言おうと好きだったら付き合う、それでなくっちゃ。

 当初の引越予定日から三週間経った。今日は椋田君の母親と直談判だ。和室の座卓を私と椋田君、彼の両親と祖母が囲んでいる。椋田君が口火を切った。

 「僕は十文字さんと暮らすから。」
「何ばかなこと言ってんの。だいたいそんなことを夜の十一時になって『明日から家を出ます』なんておかしいでしょう」母親はすっかり興奮している。

 「何で十文字さんのお母さんは前から知ってて、私には何も言ってくれなかったの。」と責められて椋田君が謝ったが、私への憎悪は剥き出しだ。

 「こんな人だと思わなかったわ。私はあなたが大嫌い。おばあちゃんはもっと嫌いよ。ねえ、おばあちゃん。」
椋田君の祖母が大きく頷く。随分前に家に帰れなくなって椋田君の家に泊まりに行ったことがある。彼の祖母は夜中の二時に私のために布団を敷いてくれた。確かに非常識な事だ、嫌われても仕方無い。

 「うちは古い考え方の家なのよ。常識ってものがあるでしょう。」と母親に言われた椋田君は地雷を踏んだ。
「お母さんの常識がみんなの常識じゃないんだよ。オウム真理教と創価学会が話しているようなもんだ、いくら話しても解り合えるはずない。お母さんはオウムだ。」

 この反撃が彼女を猛り狂わせ、彼と母親の激しいバトルになった。
 「とにかくもう家賃も払ってるし、引っ越すからね」
「お金のことばっかり言って、本当にあんたはケチね!」

私は「ハイ、ハイ」と授業中の小学生のように手を挙げて二人に割って入った。
「椋田君、経済的な面でいくら説明しても納得してもらえないんだから、違う話をしたらどうかしら。」
「何よあなた、『愛してるから』とか言ってほしいわけ?」
「はい。」と私は微笑んだ。
「冗談じゃない!そんな言葉聞きたくないわよ!」私も地雷を踏んでしまった。

「じゃあ、どうすればいいの」と椋田君が呆れ顔で尋ねた。
「ちゃんとお披露目の会をしなさい。あなた、お嫁さんになるんでしょう。」
「私は椋田家の嫁になるつもりはないです。」
「じゃあどういうつもりなの」
「生涯のパートナーだと思っています。」
「何を言っているのかわからないわ。親を捨てるの?冠婚葬祭はどうするの。一切お付き合いしないってわけ?自分たちさえよければそれでいいの。ひどい話ね。」
「私は椋田君が大事にするものを私も大事にするのではなく、彼が家族を思う気持ちを尊重します。冠婚葬祭はその都度考えて私なりのやり方でやっていきますが、世間の常識には囚われません。」
「まあ、頭がいいのね、まったく慶応になんかやるんじゃなかった。変なハエがついちゃって。」
「ハエ?ハエって私のことですか?」
「そうよ!」
それを聞いた椋田君が大声を上げた。
「人のことをハエだなんて言うやつは、ウンコだ!」
彼の母親がお膳を叩いて、もっと大きな声で叫んだ。
「ウンコが大事なのよ!」

 椋田君の父親はおとなしい人で「もう止しなさい」と止めに入った。私はお披露目の会をやるのは本意ではないが、もう三週間も待っているので、今度の日曜に引っ越すことを認めてくれるなら再考する、という妥協案を提示した。

 「ヒはどうなの?」
「ヒ?」なんのことだ、私と椋田君は顔を見合わせた。
「縁起がいいとか悪いとか、あるでしょ。」
私たちが噴き出すと、また怒鳴られた。
「何よ、二人で声合わせて笑って!」

 「仲がいいのねえ」と椋田君の祖母は感心したように言った。椋田君がカレンダーを調べると、今度の日曜は「先勝」だった。
「先勝?先様の勝ちね、あなたの勝ちね!」と来た。「罰が当たるよ。」彼の祖母はオロオロしている。縁起を担いだりしない私は知らなかったのだが、後でわかった。「先勝」は午前中が吉、という日だ。

 険悪な雰囲気は何ら解消されていないのだが、みんなで飲もうということになり、準備のために部屋には椋田君の父親と私が残された。随分ひどいことを言われたが、私は冷静に敬意を持って話した。偉い、がんばったと思ったら涙が溢れた。椋田君が戻ってくるまで彼の父親は黙っていた。

 「もういいから行きなさい。」といわれて二人で席を立った。玄関まででると椋田君の母親が缶ビールを数本抱えて戻ってきた。私たちは逃げるように外へ出た。閉まった扉越しに
「ふざけんじゃないわよあんな女、バカヤロウ!」と罵声を浴びた。

 歩き始めると椋田君が「悪かったね、ごめんね。」と言った。

 「イヤー凄かったね。」私は夜空に向かって馬鹿笑いをした。言いたいことは全部言った。もう何も期待されることはないだろう。二人なら大丈夫、椋田君で良かった。
(1997.6)