|
ゼミ仲間たちは十一月にある三田祭という学園祭の準備で忙しくなっていた。研究会発表の今回のテーマは「東京」だ。私は宇佐美君と川口君とチームを組んで、人気テレビドラマ「北の国から」を素材に、「都市」と「田舎」、「ハレ」と「ケ」といった言葉を使って「東京」を捕えようとした。
みんなで集まって調べたり議論したりすることも増え、食べたり飲んだりするうち泊まり込みになることもあって、なかなか大変な作業だった。
川口君という人は、大きな目でこちらをじっと見つめながら 「ねえ真理、なんで女と男は服のボタンの合わせが逆になってるか知ってる?あのね、男が女を脱がしやすいように出来ているんだよ」 と言ってニツコリ笑ったりするのだ。
ぱっと見はさわやかヨットマンに見えないこともない。しかしその発言は男尊女卑の臭いがあり、えげつない。 「気持ち悪いなあ、やめてよ」 「なんでだよ、真理」 更にエスカレートしていくのが常だった。呼び捨てにされるのも不快だった。
三人グループでの作業も追い込みとなって、川口君の家に集まることになった。川口君は綾瀬の方に妹とこ人で住んでいた。 「妹の生理日ってお風呂の臭いでわかるんだ」 また気色の悪いことを得意げに言う。そして私に風呂に入れとさかんに奨める。断ると理由をしつこく聞いてくる。誰が入るか。
そんな川口君の妹は川口君よりずっとしっかりしている。必死で原稿を書く私たちに夕食、夜食、朝食まで作ってくれた。 「ピザでもどうですか?」 有り難いが私はチーズが大嫌い。牛乳・卵とともに幼い頃のアレルギーが原因だ。 「ハムサンドは?」 ごめんなさい、ハム・ベーコン・コンビーフ・ソーセージの類もダメなの。 「チャーハン作りましよう」 細かい卵は取り除けないからねえ。 「じやあ、かきたま汁もダメですね。オカカのオニギリなら大丈夫ですか」 ひえー、カツオ節も苦手なの。
これには川口君の「なんでなんで攻撃」も一瞬止んだ。結局私は川口君の妹が作った料理に口をつけることが出来なかった。申し訳なく思った。
帰りの車の中で宇佐美君は私を叱った。 「あんなに一生懸命考えて作ってくれたのに、ひどいじゃないか。食えよ、吐いてでも。俺だったら食うね。有り難くて泣きながらでも食うよ」 クールなふりしてるけど実はハートの温かい人なんだと、その時初めて知った。
翌日は文京区白山の宇佐美君の家に、他のグループも作業と議論のために集合した。私と川口君とのお互い一歩も引かない激論は続いていた。連日のストレスで川口君と顔を合わせるのが苦痛でたまらなくなった。
冷静に話を聞いていた「比良りん」が個別に説明をしてくれて、私もやっと落ち着いてきた。みんなにとんだ醜態をさらしてしまったと激しい自己嫌悪に襲われた。こんなに力を込めてやる事でもなかったのではと反省したりもした。
この頃宇佐美君と中本っちゃんの関係も変化していた。中本っちゃんは宇佐美君に思いを告げた。だが、宇佐美君には中学の頃から付き合ったり別れたりを繰り返している彼女がいた。
中本っちゃんも大変な人を好きになっちゃったね、と同情した。彼女がいるということだけではない。宇佐美君は自分のスタイルを持っているから、女性にも厳しいことを言う。
彼は恋愛にのめり込んだりしない。「好き?」「好きだよ」と囁きあってべったり一緒にいるようなことはできない。宇佐美君と幼馴染の彼女との付き合いは、「ただの友達とどこが違うの?」と聞いてみたくなるほどあっさりしているように思えた。
中本っちゃんの気持ちが盛り上がるのに反比例するように、宇佐美君が露骨に中本っちゃんを避けるようになった。中本っちゃんの動揺ぶりは傍目にも激しくて、私は心を痛めた。
いよいよ三田祭前日、宇佐美家のリビングと客間をゼミのみんなで占拠して、最後の追い込みが始まった。
教室内に張り出すために模造紙に研究成果を書く。デザインにうるさい大男菅井は、手分けをして手書をすることを許さない。
今では笑い話だが、当時の頭の悪いワープロを使って、文章ではなく、いちいち文字を拡大して単語ごとにプリントアウトする。単語を切りとって模造紙に貼り付けていく。これは気の遠くなる作業だった。
ワープロが違うと字体が異なる。持ち寄った東芝ルポ2台がフル回転した。一文字の印刷時間は今の何倍もかかった。作業は探夜になっても終わらない。
夜食に宅配ピザをとることになった。またしても大の苦手なチーズだった。しかも十五、六人分と大量に届いた。私はその強烈な臭いを避けるために、一人で宇佐美君の部屋へ逃げた。
部屋は良く片付いていた。黒っぽいベッド、机、グレーのカーペットがいかにも男の子の部屋だった。机の上には窓があった。季節を問わない厚さのブルーの布カーテンがかかっていた。ブルーのカーテンは開いていて、ストライプのレースのカーテンは閉じていた。 「このお向かいが彼女の部屋か」
私は宇佐美君の椅子に膝立ちになって、レースのカーテンに手をかけて少し開けてみた。ほんの僅かな距離にある向かいの窓は出窓だった。部屋の明かりはついていない。
よく見ると向かいの部屋の窓もレースのカーテンだけが閉じていた。レースの模様は女の子っぽい花柄などではなく、渦巻と曲線の不思議な柄だった。 |