
| 売買春考 |
| シモーヌ・オノ |
「自分の金で遊びましょうよ。ゴルフもホテルも女も自分で払って。」 入社間もない頃会社で、おそらく接待ゴルフについての雑談中に、先輩の漏らした言葉は衝撃的だった。「そんな風には見えないけれど、この人も女を買うのか。」思い切りビックリした後で考え込んだ。 そりゃあそうだよな、街にはあれだけの性風俗店があって、一部の人だけで成り立っているわけがない。普通の男は女を買うんだ。それは認めても、私には強い嫌悪感があった。 男たちが嬉々として語る買春体験を聞くのは、愉快なものではない。「結婚してからはソープランドに行ってないよ」と言う人もいた。あなたの妻は専用ソープ嬢か? 札ビラきって、しかも子供を買ったりするのが最悪で、つまりは買う方が悪い。そう言いきってみたと ころで、じゃあ売る方はどうなんだ。 初めて「援助交際」という言葉を聞いたのは、5年前。フリーマーケットの私の店に来た、おとなしそうな女の子が「今日は援助交際で池袋に来たんですけどぉ、変なおじさんだったんで逃げて来ちゃったんですよ」とサラッと言った。「え?エンジョコウサイって何?」「大きな声で言わないでくださいっ。お 金をもらってぇ、お付き合いするんです。」 「援助交際」がよく聞く言葉になった頃、「援助交際は魂に悪い」と説いた学者がいたが、全く説得力 がない。売春をしている高校生から言わせればたぶん「何のこっちゃ」だ。相撲の曙が、婚約者の性風俗 関係の職歴を知って破談にしたとき、林真理子は「こういうことがあるから、安易にそういうことをし ちゃいけない」というようなことを書いていた。でもバレなきゃいいんだ。あるいは許してくれる、そんなこと気にしない人と婚約すればいい。数少ないかもしれないが。 なぜ売買春がいけないことなのか、いくら考えてもわからなかった。しかし確かにある私の嫌悪感とは 何なのだろう。 大切な友人が「言えなかったけどパパがいた」と告白したとき私は泣いた。「お金がなければあり得な い関係だけど、背中をトントンされると安心した。後悔していない。でも大好きな彼がいる今は、もうで きない。」 パワフルで行動的、夢を語りそれを実現していく彼女は、意外な脆さも垣間見せる。パパがいた当時の 彼女の手紙には「私は純粋」「ピュア」という言葉が溢れていた。それは裏返しだったんだ。私は心が痛 くて涙が止まらなかった。 「セックスと人格が一緒になっているから売春=人格を売る、やってはいけないことのように見られ る。セックスをマッサージと考えれば人格など関係ない。」と上野千鶴子というフェミニズム学者が唱え た。 しかしおいしい蕎麦屋は純粋にソバだけ売って、蕎麦職人としての人格は売っていないのか?マッサー ジ師は腕が良ければ、どんな極悪非道な人格でも、良いマッサージ師と言えるのか? 私はセックスと人格を簡単には切り離せない。女を買う、という行為は女性蔑視の考えや感覚がなけれ ばできないだろうと考えていた。「売る」方だって「買う」側を軽蔑しているに違いない。そういう関係性にひどく嫌な感じを抱いていたのだと思う。 しかし今やいろんな考え方や行動があって、「尊敬する女を買う」ってこともあるかもしれない。売買春に誇りを持つ人、抵抗を感じない人が多くなれば世間の見方も変わるだろう。 それでも私は売春をしない。美少年狩りもしない。買春をする人とはつきあいたくない。それは売買春が「悪いことだから」ではない。私にとって気持ちのいいことではないから、それだけだ。 愛する人が買春を打ち明けたら、私は責めるよりも根ほり葉ほり聞くだろう。どうしてしたの?どんな ことをしたの?どんな気持ちだった?またしたい?彼のセクシャリティを話してほしい。 ほとんどの人は買春体験をパートナーには隠す。しかしパートナー以外の人に知られることは気にならない。私は会社の男たちのセクシャリティに興味はないのに、彼らの買春体験を知っている。 男たちが語るのは買春であって性ではない。むしろ彼らはパートナーと話せばいいのにと思う。パート ナーが浮気や不倫、売買春をしないことを望むならなおのことお勧めする。 買春を語るより性を語れ。 |
| (1999.10) |