| 私の吐きダコ |
| シモーヌ・オノ |
信じられないほどの量を食べては吐く、という行為をくり返す過食嘔吐という病気。口に手を突っ込んで無理やり吐くことを長期間続けると、指の付け根に歯が当たってタコができる。私の手にも「吐きダコ」ができかけていた。 ある女性が十年以上続いた摂食障害から回復する過程を綴った「それでも吐き続けた私−過食症を克服した29歳の記録」(講談社)を読んだ。この本を手に取ったのは、私にそういう過去があったからではない。著者の冨田香里さんが私の恋人の元同僚であり、そしてまた私の大切な友人の友人でもあることが判明して興味を持った。世の中狭いのね、である。 私は冨田さんと会ったことがない。聞いていたのは、外資系のコンピューター業界最大手の会社から転職してきて、夫はイギリス人。夫婦喧嘩をした日には旦那様からお詫びに会社に大きな花束が届くとか、イルカと泳ぐセラピーに参加したとか、ホームパーティーには国も仕事もいろいろな面白い人たちが沢山集まっていたとか、離婚したこと、会社を辞めたこと。私の中では「カッコイイ人」というイメージだった。 そのカッコ良さは戦慄するような過食嘔吐という秘密を抱えてギリギリのところで支えられていたことを知った。もがき苦しみ、やがて乗り越えていく様が正直に書かれていた。私は何度も涙した。改めて、もう跡形もなく消えた私自身の吐きダコの意味について考えさせられた。 高校1年生の頃、お昼のお弁当はキャベツやレタスだった。毎日カロリー計算をした。その反動で、太るのを気にしながらも食べまくるという時期もあった。そして吐くことを覚えた。デパートのレストラン街のお店を何軒もはしごした後トイレで吐いた。家にある食べ物は、パン、ご飯、おかず、お菓子、果物、全部食べて吐いた。 親には言わなかったが、友達の間では秘密ではなかった。異常なことをしているという意識も薄かった。思春期の女の子の通過儀礼とでも言おうか。「食べたーい、でも痩せたーい」、単にそれだけのことだった。 しかし今思えば、相当なストレスとコンプレックスを抱えていたことも確かだ。都心のお嬢様学校に無理をして入った私は、成績は悪いし、田舎者だし、お金も無い。自由な校風で知られる学校なのに先生は意外にうるさいし、親にも怒られてばかりいいた。拒食症や過食症といった摂食障害者は、いわゆる「いい子」が多いと言われるが、私は全然違った。 また摂食障害の原因としてよくあげられるのが親子関係の歪みである。私はその頃両親が大嫌いだった。特に父親に対しては殺意と言えるほどの憎しみがあった。恐らく父はアルコール依存症だった。しかし当時の私には自分の激しい憎悪の理由がわからなかった。 私が吐くのを止めたのは、怖くなったからだ。吐きダコができかけて痛いし、胃液で喉をやられた。そして私は開き直った。カッコつけてはいられない。成績は最低で構わない、落第しないで卒業することを目標にした。 冨田さんは過食嘔吐を始めて16年を経て、「言葉を吐くかわりに食べ物を吐いていた」ことに気付き、言いたいことをきちんと言えるようになって吐かなくなった。やっぱりそういうことなんだ。ありのままの自分を頭で理解するだけでなく、体で、感情で受け入れ表現できれば、強迫観念は消える。 「カッコイイ」より「気持ちいい」ほうがずっと大事だ。信じられる。 |
(1997.4) |