イジメっ子の記憶
シモーヌ・オノ

 私は「マツ」の手を取って、セロテープカッターをマツの手の甲にぐりぐりと押し付けた。ギザギザした刃が皮膚に食い込む。血は出ただろうか、覚えていない。

 小学校の3、4年生の時同じクラスだった「マツ」を私は執拗に虐待していた。先生、同級生、近所の人もそれを知っていたが、誰も私のイジメを止めさせることはできなかった。

 汚れた運動靴を持って帰らせ洗わせる。乾くまではマツのきれいな運動靴を履いていた。トイレに行かせない、トイレを覗く。汚いものを嘗めさせる。おんぶして長距離を歩かせる。もしかすると記憶にはないがもっと酷いことをしているかもしれない。

 5年生で別のクラスになり、漸くイジメの嵐はおさまった。私は「先生がクラス替えでマツと私を引き裂いた」と思ったが、マツにしてみれば、地獄の日々が終わって安心したに違いない。

 何故私はあんなことをしたのだろう。高校生の時、かつてイジメっ子だった友人と「なんで人をイジメたのか」という話をした。彼女は「人が自分の思い通りになるのが楽しかったんじゃあないの」と言った。確かにマツはとても優しい、何でも言うことを聞く存在だった。私の望むことはなんでもやった。大好きだった。私ほどではないがマツをイジメていたもう一人と、張り合って「マツの取り合い」をしていたような気もする。

 よく聞くパターンだが、私も常にイジメっ子だったのではなく、無視、仲間はずれ、いたずら、嘲り等のイジメにはあった。つらかったが、マツにしたことと比べれば、決定的な傷にはなっていない。

 私はイジメによる自殺、殺人のニュースを聞く度、「マツが自殺しないで、友人を殺さないで本当に良かった。」と思った。私は何回かマツに謝罪をした。成人式で会った時には笑顔で話した。マツが教会の活動を熱心にしていて、看護婦になったという話を聞いた時「罪を憎んで人を憎まず、よかった、よかった」と胸を撫で下ろしたものだ。

 おそらくマツは私が心から謝ったこと、私も傷を負っていることを知って、イジメを乗り越えたのではないだろうか。

 あれから20年近く経った今、イジメが原因で自殺する子供は後を絶たない。学校教育システムの改善を訴えても、たった今死のうとしている子供を救うことはできない。一方で「イジメは無くならない、だから『イジメてはいけない』ではなくて、『イジメで死ぬな』という教育をするべきだ。」という人もいる。

 私が誰かをイジメていた時はいつも何かにムカついていて、怒ってて、イライラしていた。「おかしい」と思うことをうまく表現できなかったし、「なんで」と感じたことへの明確な答えが見つからなかった。

 今、私は誰かをイジメたい、意地悪をしたいとは思わない。それは「イジメはやってはいけないこと」だからではないし、私が人の痛みがわかる大人になったからでもない。やりたいことができる、嫌なことはしなくていい、と知っているからだ。

 そんな生易しいものじゃない、世の中はしなければならないこととしてはいけないことがいろいろある、という声はうるさすぎるほどだ。

 でも、イジメから逃げる為に登校拒否したっていい、闘ってみるのもいいし、ひたすら嵐が過ぎるのを待つのもいい。誰かに助けを求めて守ってもらうのは恥ずかしいことではない。いろんな方法があるし、こうしたいと思うことは何でもできる。

 イジメる側にもイジメられる側にも言ってあげたいのは、人生で大切なのは「ワクワク」と「は〜気持ちいい」という瞬間だけ、そしてそのままの自分が誰かに、そして自分自身で受け入れられれば怖いものなど何も無い、ということだ。
(1995.6)