考え中
シモーヌ・オノ
 
 短大卒の女性が第一子出産で退職、パートで再就職した場合、一つの会社に勤め続けた場合との賃金の差は、一億八千五百万円に達するという(経済企画庁97年試算)。

 子供ができたら会社を辞める、と決めている人もこの具体的な数字を知ると考えてしまうのではないだろうか。収入ガタ減りの上、子供を育てるには何千万もかかるのだ。

 ならば子供を持っても働き続けようと決めたとする。しかし「育児休業をとったので昇級できない」などの不利益があってはならない、という労働省の指針に罰則規定はない。 当然普通の企業は「昇格できない原因は育休による差別ではなく、成績」と主張する。 が、驚いたことに当社では、はっきり「育休をとったことが昇格を妨げている」と人事部が発言したという。信じられないことだが、育休が空けて職場復帰したら、何の説明もなく査定が「6」だったとか?

 「早く生んだら損をする。」これでは晩婚・少子化の流れは止まらない。私自身も、結婚に何のメリットも感じないし、子育てより自分育てに忙しい。

 ずっとそう思っていたのだが、あるテレビ番組で、大阪府立大学教授の森岡正博氏が語るのを聞いて考えてしまった。

 技術的には一、二年のうちに「クローン人間」が可能。快適で、楽で、安定した生活を求め、人間の誕生と発育、死はコントロールされ、もはや人間は家畜化している。

 妊娠時期は調整され、胎児・出生前診断などで障害の有無をチェック、出産も病院にコントロールされる。「条件にかなった」子供だけが生命を与えられる社会。

 「健康だから」「かしこいから」「言うことを聞くから」と理由を挙げるのではなく「相手を無条件に受け入れる」ことを「愛」と呼ぶならば、「無条件に受け入れられない」=「愛がない」だ。

 それは私たちが望んでいる生活、あるいは人生なのだろうか。

 快適で、楽で、安定しているけれど、本当は自分が何をしたいのかわからない。自分自身を生ききっていない。自分を変えようとしない、考えない。これでいいの?

 自分が何を、なんで大事にしているのかを自らに問い、自分の本当にしたいことをするために、一回自分を壊してみる。それを乗り越えることでしか「生命」は華開かない。

 …と森岡氏はおっしゃる。

 生きるのって厳しいのね。快楽追求ではいけないのか。自分のことだけで精一杯の私。仕事がしたいし、遊びたいし、学びたいし、恋もしたい。子供なんてほしくないと思っていた。

 でも今は生んでみようかな?と揺れている。そのときは出生前検査などせずに、無条件に受け入れたい。私にそれができるだろうか?

 「五体不満足」の乙武洋匡くんのお母さんは、母子初対面で手足のない我が子を見て「かわいい」と言ったらしい。そんな彼女でも、「胎児診断、出生前診断で子供に障害があるとわかっていたら産んでいたかどうか自信がない」そうだ。

 自分の本当にしたいことは子育てで、そのために今の生活をブッ壊しても構わない!と言える人がどのくらいいるんだろう。

 やはり子育てには「愛」と、現実問題として「社会のヘルプ」が必要だ。

 会社にも、少子・高齢化で労働力が確実に不足する社会において、子育てにできる限り協力していくことが会社の利益になるのだというふうに、是非とも意識改革をしてほしい。
(1999.04)