こぶとり物語−子宮筋腫、私の場合 3
患者番号93864

 個室を希望したのだが4人部屋だった。眺めも良く同室の人もいい人たちなので、ここに落ち着くことにした。看護婦さんや、みんなが言うには「人気の部屋」らしいのだ。

 4人のうち3人が子宮筋腫で、一人は卵巣の病気。18日午後が手術の人、間もなく退院の人、術後間もない人、そして21日に手術を控えている私。

 子宮筋腫は症状も治療法も本当にいろいろで、みんな違う。情報交換のためにも相部屋で良かった。個室では寂しく不安になったに違いない。

 初日は手術や入院生活に必要な用具を売店で買って、自己輸血用の貯血、レントゲン、心電図など。同室の人が親切にいろいろと教えてくれた。

 19日入浴。入浴は火木土と手術前日と決められている。

 午後は回診。これまで一度も診てもらったことのない教授が現れ、担当医師から報告を受けながら診察をする。ぞろぞろと下っ端の医者やら医学生らしき一行が、ベッドを取り囲む。

 旧棟診察室に呼ばれる。旧棟はかなり古い建物で、重病の人も入院している。ここの内診台で、あのご一行様に次から次へと覗かれるのかと思うと気が滅入る。一緒に来た同室の女性と話した。「大学病院の患者はモルモットだね」。

 20日恋人が来てくれて、手術前の主治医の話。 「子宮は残すので再発の可能性はある。早ければ3年」「出産は帝王切開になる」「子宮全摘出手術より出血が多くなる。自己血では足りないだろう」「腸が癒着する可能性がある。腸閉塞のなることも」等と言われて不安になる。

 一番ショックだったのは「仕事復帰は通常1ヶ月後」と言われたことだった。私は2週間程の休暇のつもりでいたのだ。

 まあしょうがない。出産も「水中」とか「自宅で」とか夢はあったのだが。恋人が「じゃあ名前は『シーザー』にしよう」。

 夜、剃毛と浣腸。なぜこうも屈辱的な行為をされるのだろう。本当に必要なのか?看護婦も気の毒だ。

21日いよいよ手術、その前にまた浣腸。

 手術室で名前を言ったぐらいまで覚えている。次は「終わりましたよ」と肩をたたかれた。夜暑くてたまらなかった。

 22日おしっこの袋を看護婦さんが持って、点滴の棒を支えに歩く。お腹の傷が激しく痛む。

 一般に手術後はすぐにでも歩いて、ガスを出して、点滴がはずれ、食事がとれるようになって、抜糸して、入浴が出来るようになって退院へという流れだ。

が、2回の浣腸の衝撃が大きすぎたのか、腸が働かなくなった。傷の痛みもさることながら、この先「ガス」には散々苦しめられた。

 お腹はパンパンに張っている。座薬も点滴も効果無し。 

 23日夜から流動食。24日には好きでもないアイスクリームを無理して食べたのに、ガスが出ないため、再び禁飲食となってしまった。レントゲン。お腹にガスがたまっているらしい。

 25日レントゲン、また浣腸、さらには尿をためろと言う。トイレに行くたびコップにして、名前の書かれたビニール袋にためていくのだ。全くうんざりだ!

 26日回診。人の体をネタに大勢が、内輪でしかわからない言葉や仕草を交わすのは、気分がいいものではない。レントゲン、抵抗を試みるが浣腸。激しい頭痛。

 尿をためているところを見舞いの恋人に見られてしまう。「お小水ですか?」と言われ、あまりの情けなさに涙。「帰りたい…。」

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(2001.2)